大韓民国

北朝鮮にどんどん似てきた韓国 「言論弾圧国家」を読者と考える(日経ビジネスONLINE)
共産主義国家へと転落を始めた韓国 民主主義を守ろうとする台湾・香港に比べ、放棄するかのような視野狭窄症(JBpress)
前々から韓国は「中華世界の筆頭属国」という立場になる事を悪くないと理解している風潮は知っていたけど,「共産主義国家」という単語を見て,ああそういう事を意味するんだ,と,改めて認識させられた思い。
資本主義を取り入れて力を得た新共産圏と先進国病に陥った従来の民主主義国家との間で,新たな冷戦構造とかなったら,日本の立ち位置すんごい不利なんじゃないかなぁ。

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爺ヶ岳

爺ヶ岳
教訓

  • ガレ場のライン読めなさすぎ
  • 肘下がりすぎ
  • スタンディングで膝曲げすぎ
  • スタンディングが続かなさすぎ
  • 転んでからの再スタート出来なさすぎ
  • 空気圧高すぎ
  • ハンドル低すぎ
  • あと全般的に体力なさ過ぎ

こてんぱんにされてきました。スクールの5人チームの中で一人足引っ張ってました。otz
今のウチだと,FUNのコースすら一周できんのかしら…って感じ。来年レース出たいなぁ…出れるようになりたい。
山品

二日目はフリーライドだったけれど,布団から起き上がることすら困難な筋肉痛バキバキ。朝から温泉行ってほぐしてみると,普通に歩くことは出来るようになった物の,左足の膝だけが半分以上曲げると激痛がして全く踏ん張れない。車のクラッチすらちょっと痛い。
今日は無理かなぁ,と思いつつ人が走っているのを見るとどうにも走ってみたくなり,バイクを下ろしてみると既に足の踏ん張りがきかなくてバイク下ろすのすら一苦労。
またがってみると,左足だけまたがった状態から全く立ち上がるどころか踏ん張る事も出来ず。しょぼん。断念。
時間余ったんで,蕎麦の産地ということで,有名?らしい蕎麦屋で気がついたら2時間も待って蕎麦食ってました。大変美味しゅう御座いましたが。

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お膝のためのプロテクター

LEATT C-Frame
とうとうニーブレース「LEATT C−Frame」を導入。ニーブレースとは,膝の動きを本来の可動方向のみに制限して,異常な方向に曲がって起こる靱帯断裂などの怪我を避けるもの。膝の故障は,日常生活に与える影響がまじシャレにならんし,つい先日もがんばる林道で膝を真横(膝が曲がる方向に対し直角方向から)から打ち付けて痛めたばっかりとか(ぉ。
このニーブレース,今年6月に出たばっかりの新商品だけあって,Web上にもまだインプレが殆ど見当たらない。もともとAsteriskを考えていたけど,ちょいちょい買い物に行っている用品店がLEATTのも入荷したみたいなんで,とりあえず試着して検討する事に。
とりあえずニーブレース初体験の立場から。装着感はLEATT C-Frameは「ピチっと」Asterisk CELLのほうは「ふわっぎゅッ!」って感じで,フィット感はLEATTのほうが上だったんでLEATTにすることに(あくまで個人的感想,フィット感は体型にもよりけり)。精算しながら店の人と話していると,なんでも既にニーブレース持っている人でもわざわざ買い換える人も居たぐらいだとか。ふむふむ。
で,実際にバイクに乗って使ってみました。比較対象はthor knee gard(ぉ。まぁニーガード→ニーブレースだから良くなっていて当たり前な前提ですが。とりえあず,すんごい足が軽やかに動く。ニーシンなりニーガードなりで膝を動かすと,曲げそのものに対する若干の抵抗感と膝の動きに追従できず若干のズレで擦れる感じがあるけれど,それが全く無い。太もも側とスネ側の部分はしっかりと固定されているのに,その二つがヒンジで繋がっている感じが全くしない。ぶっちゃけ走ることだって出来た。正直,安全性最優先でニーブレース導入したんで,足がここまで動きやすくなるとは予想外で驚く。
C-Frameの特徴として,内側のヒンジが存在しないので,ニーグリップがしやすいというのが。実際はどうかというと「このバイクこんなに細かったんだ…」みたいな感触に。いっつもニーガード装着で膝とバイクの間になにかごつい物を挟んだ状態でのニーグリップになれていたもんだから,C-Frame装着してしばらくの間は,いつものニーグリップ位置に車体が届かなくてニーグリップ不足に(ぉ。ま,すぐに慣れたけど,やっぱり膝の内側に余計な物が無いに越したことは無い。thor kee gardの不満点として,ニーグリップによって内側のヒンジ部分が擦れてMXパンツが破れてしまうというのがあって,それも改善しそうな感じ。
ほかにも今までのニーガードと比較して,通気性が良く蒸れにくかったりと,予想以上に良い買い物でした。

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ソフトウェアが低品質なわけ

ハードウェアの設計者の立場から見たハナシ。
ハードウェアの設計って,設計図を多人数でレビューするのが普通。また,設計内容は詳細に渡って安全係数などの確認がされる。そんなレビューを経た設計図を元に「実物」が製作される。「実物」は,設計図の通りにしか作られない。
一方ソフトウェアって,コードは「設計図」でもあり「実物」でもある。ソフトウェアの技術者が仕様書を設計図って言う場合があるけれども,アレは「要求仕様」であって設計図ではない。設計図というのは,可能な限り曖昧さを排除したものでその設計図からは同じ物しか作り得ないもの(というのが理想)。仕様書を元にコーディングしたとて,どんなコードが出来上がるかは千差万別なのに,実際のコードが白日の下にさらされレビューされることは希。
ハードウェアの設計流に品質を上げるならば,プログラマのコードの1行1行を多人数でレビュー(コードレビュー)するべきだと思う。けれども,生産性を理由に実施されることは少ない。
結局は「ちょっとぐらいのバグよりも生産性」という方針が,ソフトウェアが低品質であることの背景になっていると思う。「ソフトウェアだから低品質」ではなくて,「多くのソフトウェア技術者は品質に対する意識が低い」および「多くの利用者はソフトウェアに品質よりも生産性を求めている」というのが実態だと思う。ソフトウェア製品のバグに対する金銭的・社会的ペナルティが軽すぎるわけで。バグだらけだろうが作ったもの勝ちのような現状。
自動車関係のソフトウェア開発のハナシなんか見ていると興味深い。彼らの作っているソフトウェアにとって品質は非常に重要だから,そのへんの意識が全然違うわけで。

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