お父さん

お父さんが亡くなってから、ようやく中陰が開けました。

去年の秋に体調を崩し入院。年明けからようやく体調が上向き、退院出来たかと思ったら、すぐ再入院して、あっという間でした。

自分が大きくなってからはあまり会話の無かったお父さんでしたが、おかんが亡くなってからの7年間、毎週会いに行き、最も関係の深い7年間だったと思います。

時折頑固なところも有りながら、いつも人当たりの良いお父さん。お父さんの知人から聞く姿は、細かいことは苦手だけど、何かあれあすぐに友達のところに飛んで行く、誰からも好かれる様な、ウチから見れば羨ましくて憧れる、そんな人でした。

脳卒中で倒れてからは、日々のちょっとした事でも「これお父さんに見せれたら良いのに。見たらどう思うだろう?」とか、「こんなことしていて、自由に動けないお父さんに申し訳ない…」とか、ほぼ毎日頭を過ぎってました。

今は同様に思い出しつつ「あぁ…、もう居ないんや。」と。

あの病院でほんとに良かったのか、他の病院に変えたらまだ生きてたんじゃないのか。いや、あんな状態で生き延びてどうなのか。それよりも、そもそも倒れた時に、こんな状態になるなら助けないほうが良かったんじゃ無いのか…。

そんな、建設的でない後悔がぐるぐると。

お父さんが居ないという感覚は、脳卒中で倒れた時に既に「もしも…」という事で半分くらい実感があって、その時は相当堪えました。

しかしまぁ、それがあったから、今だいぶマシで居られる気がします。残り半分は、日にち薬でぼちぼちと。

病院とは意思を持って付き合わないといけないみたい

先日、プレミアムフライデーなにそれ?って感じで、じゃぁ残業がんばるかねーって頃に、施設から電話。親父様が夕食後に意識失って倒れ、救急搬送したからすぐに来いと。
結局、脳卒中の後遺症としてのてんかん発作で,駆けつけた頃には意識も戻ってました。救急の当直医曰く「(脳卒中後)なんで脳神経の専門医に掛かってないのか?」と(誰もそんなこと教えてくれない)。すぐに診て貰うようにと,とりあえず「3日分だけ」てんかん薬を処方される。
で、そこからが大変でした。

  • A病院 救急で行った所。施設すぐ近く、てんかん外来(脳神経内科)あり。ここ受診したい。
  • B病院 脳出血で手術した病院、脳神経外科のみ。施設から遠い。
  • C病院 施設提携の一般内科&なんちゃって外科の開業医。施設への往診での定期検診と薬の処方がメイン。

A病院に外来で行くために事前に電話で確認したら、B病院の紹介状を取ってこいと言われる。
紹介状について,B病院の事務に電話で確認したら,とにかく一度受診しにこいと。紹介状は自分で担当医に直接言えと丸投げされる。
B病院に連れて行くために親父様を施設へ迎えに行ったら、A病院の救急で「3日分だけ」でもらった薬が、施設の看護師とC病院の判断によって30日分追加処方に。で、親父様は副作用で大不調。とにかく眠そうで昼間からずっと意識朦朧で物置化一歩手前。施設の看護師に訊いても「そういう薬だから仕方ない,飲まなきゃダメ,投薬管理はC病院で十分」と言う。
B病院に行ったら「あー、その薬だいぶ時代遅れだから。」でイマドキの新しい薬を処方して貰い、前の薬30日分捨て捨て。その後、新しい薬で顕著な副作用無し。
紹介状持ってA病院で受付するなり「今現在症状が出て無いなら、提携クリニックの紹介になりますよ?」とか。たらい回し感満点。紹介前提でいいから,とにかく一度は見て欲しいと食らいつく。紹介でもなんでもいいから,とにかく投薬放置プレイじゃなくて,脳神経内科の「専門医」に診て貰いたいんだ。
脳神経内科希望するも「紹介状に『脳神経外科』って書いてるから、受診は脳外科に変更しますね」と。お、おぅ。10分後「やっぱり脳神経内科で見ます」だから言ったやん…。
門前払い覚悟で受診したら,先生曰く「うちで診ますよ。てんかんの症状詳しく知るため,次回診察までに,まずはMRIと脳波とりましょう(どちらも今まで一度もとったこと無い)」前の薬と新しい薬,それぞれ何日から何日まで飲んでたかなど事細かに訊かれ,新しい方の薬を継続処方してもらう。
はぁぁ,ようやくココまでたどり着けた。

親戚

親戚A
「無理しなや」
「自分の体を大事にな」
親戚B
「(お父さんを)しっかり看てくれよ」
「 歩けるようになったら家に帰れるようにすべきだ」
「はやく結婚しろ,結婚に関しては君のお母さんが亡くなっていて本当に良かった(嫁姑的に)」
お父さんへの面会送迎の帰り,その他自分の愚痴&自慢話を交えて2時間ほど,親戚自身が行こうと言い出した回転寿司で聞かされるのをじっと耐え,挙げ句に食事代まで奢らされて送り届けるのが今日のミッション。
そんな人でも,お父さんの兄弟だし会うとお父さんは喜ぶんだわ。

特別養護老人ホーム

結論から言えば,お父さんには所謂「特養」に入所してもらうことになりました。入ってしまえば呆気なく,以降のウチにとっての日常は以前とほとんど同じに戻りました。入れたのは,本当に運が良かったとしか言えない偶然の結果。こういうとき都市部に住んでいて良かったと思います。
リハビリ病院への入院にあたり「自力でトイレが出来るようになれば自宅介護,無理なら施設介護」そう決めました。今決めておかないと絶対迷うだろう…と,結局後になっても迷うんですが。
リハビリ期間が残すところ2ヶ月となった頃,主治医からは「トイレはおろか,自力で移動すること自体難しいと思う」と言われます。後遺症についてある程度の知識もあったし,状態も見てきたから回復の目処が無い事は薄々は感じていました。医者からも言われるともう最後通告で「もしかしたらまだ良くなるかも知れない」なんて微塵も思えず。では施設で…とは中々切換られないもんで。結局そこから数週間,要介護5のまま介護をしながら仕事を続ける方法が無いか?を探し回るんですが,そんな虫のいい話なんてないんですよね。
施設に入れれば自分が楽なのは分かってたから,結局の所「本当にその選択しか無いのか?」「自分は逃げたんじゃ無い」という施設に入れる言い訳が欲しかったのかも知れません。最後は地域包括支援センターの相談員に肩を押してもらった感じでした。施設でもいいんですよ,という感じで。
そこからリハビリ残り一ヶ月の間に,特養や老健(老人健康保健施設)の資料取り寄せて何件も下見に行ったりしながら,特養はすぐには無理だろうから老健で待機かなぁ…なんて思ってたら複数申し込んでいたウチのあるひとつの特養の入所が決まりました。
相変わらずの失語症で,お父さんから何かを聞き出すことは難しくなってしまいました。倒れる前に「もっと色々話を聞いておけば良かった」と思う事もしばしば。言葉での返事が無くても,話しかければ笑ったり頷いたり難しそうな顔をしたり,その表情は以前のまま。とにかく話しかけるべく,特養に面会に行く日々が今のところウチの日常の一部になりました。