辛いは旨い

以前に、昔の日本で胡椒はメジャーな調味料だったのに、その後、七味唐辛子に駆逐されてしまったという話を書きました。

改めて、何故胡椒が七味唐辛子に駆逐されてしまったのか…と言う理由を調べてみたんですが、 なんとなく事情は分かったんですが明確な理由は見つからず。とにかく、唐辛子が普及するスピードが世界規模で凄すぎたようで。

唐辛子の歴史

唐辛子というと四川料理やキムチ、そしてカレーなど世界中のあらゆる料理で「辛み」として利用されています。しかしその歴史は意外と浅い。

明星中華三昧のCMで「中国四千年の歴史」なんて言うけれど、四川料理が今のように唐辛子で辛くなったのは19世紀になってから。同じく韓国でも、キムチを含めた韓国料理で唐辛子が登場するのは19世紀頃になってから。つまり、調味料としてはわりと新参者だったりします。

唐辛子は南アメリカ大陸(ヨーロッパが見つける前)では古くから利用されていましたが、それ以外の国々で「発見」とされるのは、15世紀末にコロンブスが西インド諸島からスペインに持ち帰ったのが始まり。胡椒が紀元前500年頃から調味料として利用されていたのと比べると約2,000年も遅れてます。

その後すぐには調味料としては広まらなかったようです。16世紀になって諸説有るようですが、ブラジルに有った物が再発見されたとか、そのうちヨーロッパ内で徐々に調味料として利用されはじめ、南欧を中心に料理に使われるようになりました。

そして同じ16世紀のうちに一気に、ヨーロッパからインド・中国・日本に伝わります。みんなどんだけ唐辛子好きなんだよ…。

中国では当初は観賞用の植物として見做されていたようで、調味料として利用されるようになるのは更に先の時代になります。唐辛子が利用される前は辛い料理が無かったというわけではなく、既に胡椒や花椒(ホワジャオ)が辛みとして利用されていました。ちなみに中国で唐辛子のことを当時は蕃椒と呼んでいたそうです。(今は辣椒)

日本には複数ルートで伝来していて、ヨーロッパの宣教師からの献上品であったり、中国の観賞用のものが入ってきたり。その後、七味唐辛子としては、17世紀に江戸の両国薬研堀の「やげん堀中島」が販売をはじめたのが発祥とされています。

朝鮮半島へは16世紀の文禄・慶長の役(豊臣秀吉による朝鮮出兵)で日本から目潰しとして利用されていたものが朝鮮半島に伝わったという説が有力な様ですが、沖縄では唐辛子のことをコーレーグス(高麗胡椒)と呼ぶように、逆に朝鮮半島から日本へ伝わったルートもある様です。最初は「日本から伝わった毒のある植物」という扱いだったようで。

とにかく、16世紀当時ではまだ調味料としての利用は少なかったのにもかかわらず、唐辛子はあっという間に世界中に伝わりました。

そこまで広まったのは、胡椒と違って栽培のしやすさという面もあるかと思います。胡椒は基本的に挿し木で植え、種子からの発芽・栽培は困難です。また栽培にもかなり高い気温が必要。挿し木で植えても収穫まで3年は掛かると言われています。

一方で唐辛子はわりと簡単に種子から発芽し、寒い地域でも春〜夏までの1年草として収穫ができます。ある程度の大きさに育つと日本の冬くらいは越冬できるくらいの耐寒性も有る。なので、輸入でしか手に入らない胡椒の代わりに、簡単に自給できるトウガラシに置き換わっていったであろうというのが想像できます。

うどんに胡椒、蕎麦に七味

でもやっぱり、うどんに七味より胡椒が合うと思うんです。他のエビデンスが見つからずちょっと眉唾ですが、関東で七味唐辛子が主流になり胡椒が潰えてからも、上方では胡椒文化が根強く続いたという説もあります。

なるほど、と思ったのが、確かに関東の蕎麦文化&濃口醤油&鰹出汁の濃いつゆに、胡椒は合わないかも。上方のうどん文化&薄口醤油&昆布出汁だから胡椒が合う。

乾燥した唐辛子には殆ど香りはありませんが、それを他のスパイスと組み合わせて蕎麦に合うように配合した七味唐辛子は、日本ならではの発明だと思います。

実は七味唐辛子も東と西で味が違って、東は辛み優位、西は香り優位な配合が多いとか。以前に関東で有名な七味を買って帰って使ってみたら、思ってた以上に辛くて面食らったことがあります。

しかしまぁ、最初に唐辛子を食べた(食べようと思った)人は、よくもまぁこれを美味しいと思ったもんです。「辛み」とは味覚ではなく痛覚による「痛み」だそうです。そんな「痛み」を有り難がって食べる人類って、真性のマゾなんですかね?

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