信頼?崇拝?肩書き?

日本の経営者や政治家の,当事者としての能力の低さを嘆く意見は何度も見てきましたが「なぜそうなのか?」と言う理由について決定的なものを見かけることがなく,つらつらと「なんでだろう?」と考えていました。当事者能力の低いリーダーが多いのは,そう言う人たちがリーダーの座につくまでの経緯に,日本の社会・文化としてなにか仕組みがあるのだろうと考えています。
人が人を選ぶ以上,人の関係性を元にした恣意的な力が働きます。たとえば中国系ではメンツが重視されるとか,韓国系では同胞/ウリに属していると認識されるかどうかとか,そんなのです。日本にも日本独特の何かがあるんだろうと,ずっとそれがなんだろうと考えていました。
そして,最近なんとなくぼんやりと分かってきたのが,表題にもあるようなものです。
きっかけは件の某学園の騒ぎですが,ふたを開けてみたらとんでもない人なのに,やたらと信頼されていたり,やたらと高い地位にあったり…,というのは別にこの件に限らず日本ではどこにでもありすぎる話。件の人が,どのようにして今の地位に上ってきたのかという経緯に,その辺の答えがあるような気がしています。
あともう一つ疑っているのが,敬語に表れるような「上位者/下位者」という認識の文化。職務や義務を超えて「上位者に下位者は逆らえない」というのは個人的にはおかしな話だと思うのですが,世間では程度の差こそあれ未だ常識のようです。元々は儒教の流れかと思うので,同じ文化を持つのは近隣諸国では日本と韓国だけだと思います。欧米や中華系では,立場的に上位者に対して一定の配慮はしますが,過度に自分を貶めるようなことは一般的にしないようです。
そんなわけで,マスコミ報道見ながら政治家や企業の経営者叩いたところで,モグラたたきでしかなく,その原因の根っこは自分たちの文化にあるのになー,と日々思ってたりします。
しかし,文化なんて簡単には変えられないので,現実的にはそういう文化を維持しつつ,そう言う人たちが現れやすいという前提に立って,立法でふるい落としていくのが妥当なところなんでしょう。

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