「疑わない」という怠惰について

「疑わない」という怠惰について-24時間残念営業
ワタミについてのネタなんですが,ウチは全然違うところで気になった事が。筆者の友人の発言からの引用なんですが,
「俺は頑丈だから、病弱な人間の気持ちとかはよくわかんねえよ。だから、そいつがつらいっていうんだったらつらいんだろってそのまま鵜呑みにすることにしてる」
ウチ的にちょっとひっかかったのがこの一文。
ウチも比較的,体が丈夫で病気とかほとんどしない方だけど,ある体の弱い人が居て,その人がよくしんどいって言うんだけれども,ウチにはそのしんどさが分からないので,そのまま言う通りに鵜呑みにすることにした事があったわけです。けれど,相手との溝はどんどん深まるばかり。ただしんどいと言っても色々なしんどさが有るわけで,相手もコミュニケーション下手であった事もあり,ウチがその「しんどい」の言葉を信じて気遣いすればするほど,相手との溝が深まっていった事がありました。
ウチからすれば,相手の「しんどい」を本当の意味で理解する事は,目の見えない人が美しい風景を見た時の感動を理解したり,耳の聞こえない人が美しい演奏の感動を理解したりするように困難です。勿論,出来るだけ配慮はしますが,理解出来ないままの配慮は,相手にとって逆に迷惑でしか無い事もあったりもします。
タイトルにある「疑わない」が,筆者の指すところは別にあったんでしょうが,ウチ的に冒頭に引用した一文の「そのまま鵜呑みにすることにしている」こそが「『疑わない』という怠惰」に見えたりしました。ただ,冒頭の一文の発言者は,そういう意味で「鵜呑み」という言葉を使ったのでは無いのかも知れませんが。
けれども「努力すればなんでも理解し合える」なんて事も思っていないので,何とも言えない感じなんですが。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク

「疑わない」という怠惰について への2件のフィードバック

  1. atwell のコメント:

    お初に。KSRPROに心が揺れているKLX125乗りです。
    KLXの記事を読み漁っていたらここに漂着しました。
    大変興味深く読ませて頂きました。私はどちらかというと病弱組に入ります。
    ですが確かに健常な方々に体調や色々な症状を理解して貰うのは難しい、というより やや悪い言い方をすると諦めています。
    私は病弱になったからこそ近しい病等の人の気持ち、やどうしたらそうなったかがよくわかりますが。
    健常であれば、病気の人の詳細や症状など
    説明されても 面倒 と思ったかもしれません。
    なので私はどういう症状でも「体調不良」以上の事は言いません。
    それで通るのは関心がないからなのか理解があるからなのか、個人的に中間だと思っていますが。
    この問題は全世界であるでしょうね。
    私も口下手な方ですし、何かいい解決法があるといいですよね。

  2. のコメント:

    最良ではないにしても,双方で「理解できていない」という現状を理解していたら,それだけでもだいぶ建設的だと思うんですけどね。「理解できない側」vs「理解できない事が理解不能側」的な事にならないだけ…。

へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です