MSX回顧録

某つぶやきでちょっと話題を見たので思い出し。

過去、MSXユーザーでしたが、うちにとっては単純に「性能のわりに安かったパソコン」でした。その縁で続いてる人達はとても大切には思うんですけれど、MSX自体にはそう強い思い入れはなかったりします。

MSXの盛衰

MSX1については、今では「当時のありもの技術の寄せ集め、技術的な価値はない」なんてことが言われたりする様ですが、それはそれで、当時の技術トレンドとニーズにうまくマッチしていたんだと思います。

当時の世間では、MSXとはパソコンというより「キーボードのついたちょっと高級?なゲーム機」という認識だったと思います。登場時期もファミコンと同時期(1983)でしたし。

華はMSX2までかなぁ・・・と。2+になってハードメーカーは極端に減り「何が」というと色々要因はあると思いますが、この頃にはすでに衰退が始まっていたと思います。

感覚的にはMSX1からMSX2+まですごく長い時間がかかった様に思うのですが、今調べるとたった5年なんですよね。いやまぁ、5年というと長いのかもしれませんが、それほどに当時は濃密な時期だった様に思います。

ホームコンピューター

当時、MSX界隈の有識者?というかMSXマガジン界隈では、しきりに「ホームコンピューター」という思想が語られていた様に思います。

当時すでに「パーソナルコンピューター」という言葉はありましたが「パーソナル=一人一人の為の」という意味はあくまで理想論で、当時はまだ大型コンピューターに対する「マイコン(マイクロコンピューター)」という言葉の置き換えでしかなかった様に思います。

当時、基本的にはコンピューターはまだまだ「一部の特殊な業務のためのもの」で、それが「一般の人にも買える価格になった」ことにより、用途を模索している最中でした。なので、コンピューターゲームのプラットフォームというのは一つのキラーアプリであり、自分でプログラムをしてコンピューターそのものを趣味的に使うのは、メーカーが広告に力を入れていたこともあって世間には知られているものの、実際にその様に使う人は少数派でしたね。

そんな状況下で、インターネットはおろかLANすらごくごく一部にしか知られてなかった時代に、ホームコンピューターと言う「情報端末が一家に一台必要になるはずだ」というのは、まぁまぁ先進的な思想だったと思います。余談ですがキャプテンシステムというちょっと残念なホームコンピューターもあったなぁ・・・とか思い出した。

なんてこと思ってたら「ホームコンピューター」という言葉はMSXに限らず、わりと一般的な言葉だった様です

ホームコンピューターの衰退

一番の失敗は「ビジネス」「ホーム」を分けたことなんじゃないかな・・・と。ビジネス用途のほうが必須用途として立ち上がるにつれ、家でもそれでいいやん、ってなったあたりがホームコンピューター衰退の要因かと。

そんなことを思ってたら、上記のホームコンピューターのWikiにも、IBM/PC互換機が家庭で利用されるにつれ淘汰された、って書いてありますね。英語版のリンクなのは、日本語版Wikiだと「ホビーコンピューター」に飛ばされて、内容もちょっと主観的すぎて、もうちょっと客観的に俯瞰した情報がほしかったんで。

私個人としては、ビジネス用途以外については、もっと個人向けに個人のための本来の意味での「パーソナルコンピューター」として発展していくだろう・・・と思ってました。家にパソコンはあるけどリビングにあって家族で共有で使ってる・・・なんて話を聞くたびに、それはんんか違うだろう・・・と感覚的に思っていました。

本当の個人のための情報端末としての「パーソナルコンピューター」は、通称パソコンを飛び越してスマートフォンによって実現しちゃったなぁ・・・なんて思ってます。

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のうはう

電気関係でもバイクでも、自分で調べて試して上手くいったら、インターネット老人会な我々としては、公開して共有したいという承認欲求に駆られるわけですよ。

コンピューター関係ではない「電気関係」「バイク関係」と言うのがミソ。

このご時世、ネットに上げるとあまりにも多くの人の目に触れてしまう。すると、トラブルを撒き散らす基地な方々との遭遇確率もかなりのもの。

「ネットの書き込みに書いてあることを見て試したら、壊れたor怪我をした。書き込み主を訴えたい!」なんてのも無くもない話。

そうなると「物理」に関連するあれこれは、下手すると財産・人命に関わるわけで、迂闊なこと書けなくなったなぁ・・・と思ったり。

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脱Intel

Macを新調して、MacBook Pro (13-inch, intel, 2020, Thunderbolt 3ポートx 4) からMacBookAir (13-inch, M3, 2024)になりました。

仕事でMac使わなくなったんで、前のままでスペックとか全く不満なかったんですが、悪名高き失敗作のTouchBarが死亡。TouchBar自体は使えなくなったこと自体は大して困らないんですが、TouchBarが死ぬとスリープ中にカーネルパニック起こして死ぬようになりスリープ出来ないMacBookの出来上がりました。いやいや流石に不便すぎる・・・。

修理するにもAppleCare切れてるんで、ネット見ると修理に最低でも4.4万円ほどかかるとか。うーん、そこまでして使い続けたいわけでも無いし、TouchBar修理してもそろそろ他のところが壊れてきてもおかしく無い。

そんなわけで次機種検討、次もMacBookProがほしーんだけど・・・と見るも13インチ廃止。14インととかデカすぎていらない。MacBookAirは過去IntelCPUの頃(楔形のやつ)に2機種くらい使ったけど、サーマルスロットリングに泣かされてProへ移行した口。AppleSiliconになってどーなん?と調べるも、M1は低発熱で持て囃されたものの、M2以降はやっぱり熱くなりサーマルスロットリングは起こる模様で・・・。

うーん、イマイチだなー思いつつ、そもそも高負荷で使うのは仕事でVMWareFusion使う時ぐらい。それが無くなったんだから、いっそより軽量な11インチのMacBookAirとかにしてみるか?と思うも既に廃止。そんなこんなしているうちにどんどん円安になり、しれっとiPad miniが値上げされたりと、こりゃ値上がりする前に買っといた方がいいかな?とMacBookAir 13(M3)で妥協しました。

ふぁーすとんぷれっしょん

元MacBookProユーザーの目から。

まず気になったのは、ゴム足が写真とかでみるよりも予想以上にでかい。多分、底面の距離稼いで放熱のためかな?数値上は厚みがMacBookPro13 2020と変わらないけど、それはゴム足の高さ込みなので本体は割と薄い。

キーボードはちょっとグレードが下がった感じ。キーを押し込む前のキートップの遊び(ぐらぐら感)が少し大きく、かちゃかちゃ煩くちょっとチャチっぽい。まぁ慣れればどうと言うことのない範囲ですが、移行後すぐは違和感ありました。

スピーカーは相当なグレードダウン。MacBookProは贅沢言わなければ普通に音楽聴けるレベルだったのが「まぁノーパソのスピーカーってこんなもんだよね」という程度に。本体スピーカーで音楽を聴くことはほとんどないから良いっちゃ良いんだけど。

ウチはUSキーボード派なんですが、Fnキーに地球儀アイコンが付いていて、Fnキーで日本語英語切り替えられるようになっていました。AppleSilicon機から?ほーと思いつつも⌘英かな使って切り替えてるんで、特にメリットもなく。

あとは良くも悪くも変わり映えしない。intel機>AppleSilicon機への移行でしたが、移行アシスタントで大きなトラブルもなくさっくり移行。CPUごっそり変わってるのに、さっくり移行できて変わり映えしないって、それはそれですごいと思います。

ただ、VMWare Fuisonが動くけど以前のIntelバイナリ使えなくなったとか、Homebrewとかマニアックなところは色々面倒くさそうです。

6/8追記

普段はFANが無くて静かでいいんだけど、Lightroomでちょっと書き出ししようとしたらすんごい遅くなるの。そしてすんごい熱くなる。まぁやっぱりAirですね。とはいえ14インチになったMacBookProはTooMuchなんですよ。

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なにがなんでもテレワーク止めたい、の本質

Google検索「テレワーク 出社拒否」

「コロナ明けてテレワーク廃止したいのに言うことを聞かない」みたいなビジネス記事を見て、今だにそんなこと言ってるのかと。

もちろん、テレワークの良し悪しは業種にも依るし、なにも100%テレワークだけが全てとも言いませんし、出社してFace to Faceで会話するメリットも理解しています。

テレワークで仕事が進められる業種という前提で、実際問題としては仕事の状況によってテレワークしたり出社したり、それは自己管理の範囲の話だと思います。

それでもあーだこーだと理由をつけて「従来の100%出社体制でないとダメだ!」って言う記事を見るに思い出したのが次の言葉。

「人に仕事を付けてはいけない、仕事に人を付けなさい。」

もう20年くらい前に、当時で既に定年間際の年齢の大先輩(と言っても別会社からの期間限定の出向で縁は深く無い)から聞いたお言葉。

属人的な仕事の進め方が良く無いことは20年前から分かっていたのに、いまだに続けている日本的な「カイシャ」の流儀が色々とアレだなぁ・・・と思ったり。

20年前から本質変わってないなら、そりゃまぁ「失われた20年」とかにもなるだろうよ、と。

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