愛の反対は憎悪ではなく、無関心である

「好き」や「嫌い」を判断する際に活動する脳の部位は重なっているだそうで.基本的に人に対して無関心だと,あんまり好きとか嫌いとか思わない訳で.otz
ただ,嫌いというか嫌悪というか,近頃思うのは「憎悪」ってのが,すごい危うい感情だということ.○ェダイの騎士じゃあるまいって感じだけど(ぉ.
「嫌悪=憎悪」とは限らない?と思うんだけれど,その境界線はとてもわかりずらく,人は気付かないうちに大なり小なり,本当に簡単に憎悪してしまい,さらに自分が憎悪していることに気付きにくい.
しかも憎悪は人に行動の原動力を与え,その憎悪を「正論」という言葉ですりかえたりされると本当にたちが悪い.ある一面を見れば「すごく立派な行動力溢れる人」に見えたりする.そういう人の行動は,結果的に少しづつ矛盾を露呈していくんだけど.
何かに「傷つけられた」と意識的にしろ無意識にしろ感じる事があり得る以上,防衛本能として「憎悪」するのは仕方ないんだろう.ただ動物じゃないんだから,自分が憎悪していることは意識として判っていたいと思うのと,憎悪を意識できない行動力のある人とは関わりたくない希ガス.
まぁ,ムカツク奴はムカツクしねッ!(ぉ

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