蔑視と差別は違う

別に女性の人権とか差別とか、そういうのに熱心なわけじゃぁ無いです。ただ、歯車の合わないような気持ち悪さがあったので。

「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかります」

これ見たときどう考えても差別的発言やん…と。ここまで明らかな発言なのに、日本国内のマスコミの初動は鈍かった。

最終的には、海外の反応に押し切られた感じ。そしてその波に後のりする国内マスコミ。

「私は女性を蔑視するという気持ちは本当にありませんし…」

マスコミの文章には「女性蔑視」という言葉が多く使われているけれど、この件は「差別(客観的視点)」ではあるけど「蔑視(主観)」とは違うと思う。

Wikipediaさんによると差別とは以下の通り。

特定の集団や属性に属する個人に対して、その属性を理由にして特別な扱いをする行為である。

国際連合は、「差別には複数の形態が存在するが、その全ては何らかの除外行為や拒否行為である。」としている。

一方で「蔑視」については本質的には「侮蔑」にあたるということで、同じくWikipediaさんではこんな感じ。

他者を侮り、蔑み、馬鹿にしたり、罵ったり、ないがしろにすること。

侮蔑は、言葉や態度に現れるものに限らず、「彼の表現には侮蔑の意図があったのか」などの用法に見られるように、侮蔑感情を含めて考察・記述されなければならない。

この件について、森さんに侮蔑の意図は全くないんでしょうね。でも差別なんですよ。本人の意図とは関係なく、女性という集団を除外する手助けとなる発言であって、紛れもない差別的発言。

蔑視してないから差別じゃ無いなんて、筋違いすぎるんです。一方で女性差別だからといって、必ずしも女性蔑視というわけでもない。

そして、多様性を認める「オリンピック」という場で、多様性とは相反する差別行為をどうどうとやっちゃった。ただですむわけが無い。

海外はその「差別」を問題にしてる。

しかし国内のマスコミはその本質を理解してないし、そして本人は周りのマスコミに「女性蔑視だ!」と言われながら、頭の中でハテナが増えるだけ。

ウチも上手く言えないけど、誰かその違いを教えてあげてやってくれ…。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です