アスペルガー

Wikipediaによると「他者の仕草や雰囲気から多くの情報を集め、相手の感情や認知の状態を読み取ることができる。この能力が自閉症の人には欠けており、他者の心を読むことが難しい(心の理論の欠如)。」という。
人は言葉を使ってコミュニケーションを図る。しかし,多くの場合,言葉では論理的に事象を限定的出来ない断片的な内容しか示さず「空気を読んで」ようやく意味が補完される。
場の空気が最も優先される談話的な会話ならいざしれず,内容の正確性が重視される仕事上の伝達事項に於いて論理的に整然とした説明をせずに,不完全な言語表現で「あとは空気読め」っていうのはどうよ?って思ってしまうわけで。円滑なコミュニケーションによる関係性よりも,指示内容の解釈の正確性が優先されると考える。余談の余地が無い理路整然とした説明で有るべきでは無いか?と。
ウチ的にはそういう不完全な言語表現を聞いた地点で「たぶんこのことを言っているのかな?」というのは気付いていても,その不完全さから導き出されるあらゆる「もしかして?」の可能性を考えると「空気読んだ」なんていう不確かな情報「だけ」に依存することは危険だと思い「それってどうゆうこと?」と,より正確な説明を求めるんだけれども,たいていの場合「なんで分からないの!」と,相手を逆上させてしまう。分かる分からないじゃなくて,論理的に絞り込めないだけなんですが。
心の論理が理解出来ない訳では無いけれど,それがどれほど正確さを持っているのか。そんな不確かなモノに依存することは私は危険だと意識して判断した上で,より論理的な正確さを求める。それも「心の論理を理解しないアスペルガー」なのか?
Wikipediaにある例としての,宿題を忘れてしまった子に対する「犬があなたの宿題を食べたちゃったの?」という例が,なかなか「ふつうの思考」と同じような理解が出来ず,アスペルガーの場合と同じ立場でしか思考できなかったウチが言っても仕方ないですが。

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