おかん

先週、おかんが他界しました。あまりにも唐突でした。交通事故です。しかも、おかんには全く過失の無い一方的な事故。大きな病気もなく、つい先々週も電話で軽く話したばかりだったのに、それが最後の会話となってしまいました。
私の近しい人たちには、よくおかんの駄目な所をネタにして良く話をしていました。本人にも話したことはありますが、気にするどころか笑い飛ばされていました。
怒るにしろ泣くにしろ極端に感情的になることが多く、ウチもお父さんも気苦労する事が少なくありませんでした。残念ながらウチはそれに耐えられず家を出て一人暮らしを初めました。でも、そのおかげで、おかんが感情的になっても落ち着いて聞くことが出来る余裕が出来たので良かったと思っていました。これはウチ自身の問題なのですが、あまり人に近づくと、過剰に反応してしまい自分でコントロール出来なくなってしまうのです。
本当に馬鹿な冗談を言っては、周りを楽しませる事が好きな人でした。近頃では盆暮れ正月+αぐらいしか実家に帰る機会がなかったのですが、あんなことがあった・こんなことがあった、と、楽しそうに話すおかんをお父さんと二人で見守るのがなにより幸せでした。当たり前の事かも知れないけれど、ウチは一時期家族に対して反発していた時期があり、おかんやお父さん・おばあちゃんにとても非道い態度を取っていたことがありました。だから尚更、それがとても家族として幸せだと思っていました。
小学校の時、ある朝おかんに起こされて「お父さんの工場倒産してん!」訳も分からず、おかんとふたり泣きじゃくったこともありました。その日の夕方には、借金取りが来る前に自宅の「大事なもの」だけを持ち出して大急ぎでおばあちゃんの住む八畳一間のアパートへ移り住むことになりました。お父さんは事後の処理などでしばらく会えず、当時は携帯電話も無く連絡も取れない中、その日のうちに持ち出す物をアレコレと、その場で全ておかんが決めていました。
高校の時「うちは金がないから4年生大学なんか行かれへんで!」特に大学へ行きたい希望があったわけでは無かったのだけれど、その歯に衣着せぬ物言いには、親の言う事か?と疑問に思った事もありました。でも本当にそうだったんだと思います。2年間までなら、これだけまでなら出せる、あとこれだけ足りないからバイトで稼ぎなさい、と、おかんに言われてバイトしながら専門学校へ行きました。お父さん曰く、このあたりのことは全ておかんが決めてくれたそうです。入学金なども本当に苦労して工面してくれたんだと思います。おかげで今も専門学校から就職した会社に勤め職にありつけています。
亡くなってから、ウチの知らなかったおかんの話を沢山聞きました。葬儀が終わってから自宅には、お父さんも面識の無かった近所の方が幾人か弔問に訪れてくれました。ほぼ毎日散歩に出かけていたのですが、行く先々で気さくに話しかけていつもの冗談を言って、近所ではちょっとした人気者だったのかもしれません。聞けば、散歩の時に通る家の人でいつも挨拶を交わしていたとか、自宅の裏の川で釣りをしているおじさん達と良く話をしていたとか、その家で飼っている犬をおかんがとても可愛がっていたと言う飼い主の人とか、おかんがよく遊んでいた子供のその親御さんとか。
近頃では、激しかった気性も随分と落ち着きました。自宅のローンも、ほんの数年前にようやく返し終わりました。数ヶ月前にお父さんが病気で倒れて入院したときには、お父さんはちょうど仕事も辞めてしまっていて「家を売ろうか…」と弱気になっていたのですが、その後再び仕事に就き、少しづつ古くなった家の改修を行いだしていました。休日には、(お父さん曰く「おかんは足が弱かったから」と言いますが)お父さんと二人で手を繋いでよく出かけては、近所の人に冷やかされていたそうです。最近では聞くことが少なくなりましたが、おかんが「お父さんは昔○○やったんやで!」と、お父さんの自慢を嬉しそうにウチに話していたことを良く覚えています。
ずっとずっと本当に苦労してきて、ようやくこれから少し楽が出来る、本当にそんな矢先でした。確かにもう若くはない年齢だけれど、まだもう少し…。弔問に来ていたおかんの妹さんは言いました。「あれだけ苦労して、やっとこれからなのに、神も仏もないわ」と。
おかんが亡くなってから一つ分かったことがあります。おかんはウチのことを名前で呼び捨てにし、ウチはおかんの事を「おかん」と呼びます。お父さんはウチのことを名前+「くん」付けで呼び、ウチはお父さんのことを「お父さん」と「さん」付けで呼んでいました。そもそも、ウチはお父さんに直接名前を呼ばれたことがあまり無かった様に思います。用があるときは、お父さんはおかんにウチのことを呼ばせていた様に思います。お父さんと仲が悪いとか怖いとかいう訳では有りません。どこかお互いに気を遣い合ってしまっているような感じ。お父さんとの共通の話題は、おかんの話も少なくありませんでした。結局、良い事も悪いことも、ウチとお父さんは、おかんを中心にしていたことに気付かされました。
葬儀が終わり、死亡後の諸手続きに振り回されながら役所を走り回っていましたが、ようやく目処も付きました。幸いにしてウチのお父さんは器用で、家事については問題無い様です。たった二人きりになってしまったけれど、お父さんとウチの二人での家族について、これから考えていこうと思います。

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