お盆休み、特に予定もなかったので直前に日程組んで東北へ。男鹿半島以外、あとはAI任せで適当に予定組ませました。車中泊なんで、予定に困ったら(実際困った)現地でなんとかすりゃいいや・・・てな感じで。
青森まで行きたかったけど時間的に厳しそうだったので秋田で折り返し。なんとなく、日本最大の干拓地の大潟村(八郎潟)が気になってたんでその辺りを目標に。
鶴岡市立加茂水族館

正式には「東北エプソンアクアリウムかもすい」らしい、ネーミングライツか。なんとなく「クラゲが有名・・・らしい?」くらいの事前情報しか持ってませんでした。
入り口付近に展示されていた、付近に生息する海水魚の展示も、天井まで届く大水槽ながら正直ありきたりでパッとしない。壁面に表示された館内地図をみるとえらく小さな水族館のようだ。どうせクラゲってでかい水槽にいっぱいクラゲがいてインスタ映えするようなやつでしょ?それだけあってもなぁ・・・あれ?入場料損したかな?なんてこと考えてました。
展示が少し進むと、40~50cmくらいの小さな水槽が並んで、そこにヒトデやらウミウシといった無脊椎動物の展示が並ぶ。
うん、個人的にこういうの好きだわ。ヒトデが管足をしきりに動かしながら歩いている姿とか、かなり好き。でも観る人を選ぶような気もする。
本題のクラゲの展示が始まると、少し様相が違ってくる。館内の照明はいっそいう暗くなり照明に照らされたクラゲが一層目立つ仕組み。大型の水槽と大型のクラゲが続く。まだこの時点でうち的には「へぇ・・」レベル。
そのうち小さな水槽に小さなクラゲの展示が続く。ブラックライトに照らされてキラキラ動くクラゲや、モーターのように動くクラゲたち。この辺りに来ると「おおぉ?」という感じに。
展示の中盤くらいにちょっとした講堂のような広い部屋に出る。ここは、マイクロアクアリウムというコーナー。壁一面に所狭しと並ぶクラゲ。右の壁には多数のデジタル顕微鏡が並び、1mm前後のクラゲを顕微鏡とセットで30cmおきに並んで展示されている。
その中でも目を引いたのは、図鑑でしか見たことないストロビラが生きたまま、今まさにエフィラとして分離しそうな姿(知らない人にとっては何を言ってるかわからないと思うが、クラゲの一生について調べてほしい)。子供の頃、図鑑を見ながらその不思議な生態に目を奪われたそれが、今目の前に生きたまま居るんだもの。すげぇすげぇよ。
横にいた小学生くらいの女の子が「あ、ストロビラだ」と言いながら、ストロビラとはなんぞやと問う親に、ストロビラとエフィラの関係を説明をしていた。お主出来るな。
反対側の壁には数cmくらいのクラゲが、壁一面に上下左右に並べられた30x30cmくらいの水槽に並んでいる。
この部屋にいるだけでしばらく飽きないのだけれども、ここは本当に講堂にもなっていて、一定時間間隔でクラゲについての解説が始まる。その解説の中で「昨日生まれたばかりのエフィラに餌を与えてみましょう」と、顕微鏡の画面をモニターに映しながら説明してくれる。クラゲがアルテミアを捕食している様をリアルタイムに観察できる。すげぇよ。
そのあとは所狭しとクラゲ、クラゲ、クラゲの展示の続く。どれも素晴らしい展示。特に、クラゲのあの動きが生で観れるというのは、水族館ならではと思う。
最後に大水槽でのクラゲドリームシアターですが、たぶん一番インスタ映えするポイントなんでしょうが、個人的にはあんまりそそられませんでした。
秋田港の風力発電所群

海岸線沿いの風力発電というと、北海道のオロロンラインが有名ですが、個人的には秋田の方が迫力ありました。オロロンラインのは高い鉄塔の先でローターが回っているのに対し、秋田のはかなり地表に近いところでローターが回っていました。

北海道のような大自然の中で回っているローターも良いのですが、海浜工業地帯の巨大プラントを背に回る巨大ローターも、なかなか見応えがあります。
基数や発電量で北海道には敵わないものの、都道府県の面積から考えると秋田・青森はかなり高密度に風力発電所が点在しているようで。
秋田城
秋田には久保田城という江戸時代にあった立派なお城(復元)があるんですが、それとは別に秋田城(8世紀、飛鳥時代)という古代の城もあって、それなんぞ?と行ってみた。
一部復元された公園は、まぁ、それほどの見どころはなかったのですが、資料館の情報がちょっと衝撃でした。
そもそも、古代(古墳/飛鳥/奈良/平安時代、3~12世紀)における朝廷のある畿内以外の地域って教科書では何にも教えてないから「まだ狩猟生活でもやってたんじゃね?」という、すごく失礼な認識でした。
しかし実際には、大陸と交易を始めていたり、日本海側の海路を使って朝廷とのつながりもあり、秋田城にはおそらく日本最古の水洗トイレがあったとか。
当時文化の先端を行っていた大陸から見た玄関口は日本海側だし、畿内から距離的に遠いように見えて、日本海側沿岸という海路は相当に便利で交流はかなりあったようで。
大潟村
ようやくきましたよ大潟村。

よく知られた日本最大の干拓地。よくもまぁそんな大工事をやったもんだと思いながら気になる場所だったのですが、当時は米は作れば作るほど売れた時代。琵琶湖よりでかい湖を埋め立てた、くらいの認識でしたが、正しくは埋め立てではなく干拓。「池の水全部抜く大作戦」を常時続けているような感じで、土地は海抜0m以下のまま。
排水ポンプの実物展示などあり、ポンプで常に排水を続けないと沈んでしまう土地なわけで。ぱっと見は普通に地面があって田んぼがあって、ところどころに雑木林のようなものも見える。けれど、ひとたび排水ポンプが止まればここは水底に沈んでしまう場所・・・と思うと不思議な感じでした。
実際、他の干拓地で干拓を中断してまた水没してしまった場所もあるとか。
戦後の勢いでできた巨大干拓地ながら完成した頃には減反政策が始まり、大潟村の入植条件の「財産を全て処分し退路を断つこと」という条件も相まって自殺者も出たとか・・・。
1964に大型村が発足してからまだ60年あまり。減反政策に始まり、昨今の米価の乱高下。村とはいえ北西部の道の駅を中心とした区画以外は、田畑以外何もない割と殺風景な場所。
排水ポンプなどの設備維持費は、国40/県30/大潟村組合30という割合らしい。いつまでここが続くか・・・と思うと、なんか儚い感じでした。
燕市
帰路で時間が余ったので、予定にはなかったけれどもその場で調べて燕市産業史料館へ行ってみた。

槌目入れ体験によるタンブラー作成が、予約・待ち時間なしでできたのが嬉しい誤算。お盆期間中ということで一人30分に制限されていたけれど、ちょっと本気出してやってみたら10分で一旦完成。勿体無いのでさらに10分、仕上げ作業やってました。
燕の金属加工の特徴としては最終製品に拘らず技術に注力し続けたこと。和釘の製造から始まった金属加工は、鉄から銅加工に変わり、今ではステンレスやチタンの最先端加工にまで発展。
その発展を見ながら「製造を続けてきたから出来たこと」なんだな・・・と。
いやね、今や日本の多くの工場は失われて、中国こそが「ものづくり」の一大拠点となりつつある。すでに一部の中国工場は日本の品質を凌駕しつつあり、その流れは止まらないでしょう。
一方で、分野にもよりますが、ある分野ではもうほとんど国内で物を作らなくなった日本は、今は過去の経験を食い潰しながらやっていけても、製造業としてはこの先は無いよな・・・としみじみ思ったり。
貧しい東北?裏日本?
実際に行ってみて、ちょっと資料館とか回っただけながらも「あれ?東北ってイメージと大分違くね?」と。
東北のイメージというと、中央から遠く離れ、冬は厳しく貧しい僻地、歴史的にもなんかあるの?みたいな感じでした。実はこれは、明治以降に作られたものとか。今の東北は、明治政府による日本という国の全体最適化のために、生産地(農業・鉱業・電力)としての役割に固定されてしまった影響が大きい。
日本海側は冬は厳しいけれど夏の気候は農業に適していて、だからこその米の一大生産地。明治時代初頭では、新潟県の人口が東京大阪を抜いて都道府県一位だったこともあるとか。
古代〜中世においても、義務教育で教えていないだけで、日本海側の東北は当時の国際交流地域でした。
そんなわけで、決して僻地なんかではなかったわけで。ちょっと調べたらわかるんだろうけれども、行ってみないと気づかないこともああるもんだな・・・と。
