欧州流と米国流の違い

日本代表がスペインに勝利できた陰の、そして真の立者
https://note.com/nipponcontext/n/n0a93634a71a7

サッカーには興味は無いんですが、VAR判定とやらでなにやら揉めてるなーくらいの認識。ほー、欧州や南米のサッカーには、そう言う文化があったんだと。

オリンピックの今までのルール改定とか見てると、どうもあちらの国は「勝つためにはルールも手段の一つ」と考えてる節があるなーと常々感じていました。そのルールの変更は一応公正な手続きを経て行われるものの、それって政治力よね?スポーツって何?みたいな。

一方で、ルールと名の付く物を何でもかんでも神聖化しちゃって「必要に応じて変える」という事を極端に避け、よく手が付けられなくなってる(訳の分からない校則とか)、日本の国民性もどうかとは思います。

よくひとまとめに「欧米」と呼ぶけれど、欧州も米国も祖は同じとは言え結構違いもあるもんだなーと。

VARはアメリカで生まれた。もともとアメフトであまりにも判定が際どくなることと、その際の審判のジャッジがあまりにも試合結果を(あるいは選手の運命をも)決定づけることの理不尽さから、合理性を重んじるアメリカの国民性(文化!)が、ビデオ判定の導入を押し進めたのである。

日本代表がスペインに勝利できた陰の、そして真の立者

欧州が合理性に欠けるとは言わないし欧州にもいろいろな国があります。でも、なにか米国の雰囲気とは違う物を感じます。まぁこう言う事だったりするんですかね。

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ZITANG

なんか変なもの買ってしまいました。ZITANGってなんだよ、ZIONGのパチモンみたいな名前しやがって。(「時短・具」らしいけどこじつけ感…)

車で使えそうな「小型の電子レンジ」を探していたら、ぜんぜん小型じゃ無いけれど庫内13Lというこいつを見つけてよくよく見ると「ええ、なんだこれ…(困惑と羨望)」。

比較サイトの評価が凄く低いのに、使用者のレビューでは悉く絶賛という、あまりにも人を選びすぎる製品。

普通のオーブンレンジグリルに自動レンジ+グリル機能付き、では無くて「自動レンジ+グリル」に単機能のレンジ・オーブン・グリルがおまけで付いてくる感じ。極端に言えば「レンジ+グリル」以外の機能はオマケ。なので、個々の機能を他社製品と比較するとボロ負け。ただオマケと言っても、他社中位機種相当くらいの能力はある。

自動レンジ+グリル機能

電子レンジで「あたためor調理」して、それが終わったらグリル機能で焼き目を付けてくれる。それだけ。

これだけ見ると「そんなの他社のレンジでも出来るやん」と。まぁそうなんですが、こいつの目玉は「自動」という事。どんな食材入れようが、量が多かろうが少なかろうが(極端に少量はNGだけど)、ボタン一つでセンサーによりレンジ時間とグリル時間を自動設定してそれなりに仕上げてくれる。

最初半信半疑でしたが、ほんとうに「ボタン押すだけ」で時間も設定も不要。なんでもこの「レンジとグリルの自動連携」は三菱の特許らしい。

しかも、通常は電子レンジで金網は使えないのですが、コイツは付属の金網を「レンジ+グリル」モードに限って使用可能。なので裏側がべとつくことも無い。電子レンジで金網が使えるだけでも凄くない?

実際の調理時間はものに依るけど、だいたい温めなら6〜8分、調理だと10〜15分と結構掛かります。オーブンだけでやると15分ちょっとくらいなのでそんなに時短じゃなくね?と思ったものの、オーブンだと余熱に5〜10分とか掛かるのでその分時短だ、と言う事みたいです。

試しにいくつか作ってみました。

「野菜炒め」50点

まぁ食えるけどね、な感じ。野菜から出た水がぜんぜん乾いていないし、焼き目も野菜の角っこにちょこっと付くぐらい。グリル機能が負けている。

「やきそば」60点

最初出来ると聞いて「おーすげー!」って思ったものの、実際にやってみるとそこまで凄くない。肉がカリカリに焼けるし麺も一部パリパリになるのでまぁまぁ美味しいけど、やっぱりフライパンには及ばない。キャベツの焼き加減がカラカラだったりビチャビチャだったりイマイチ。

付属の広い角皿に材料広げるようにして並べるのが地味に面倒くさいし、フライパンで4~5分が、放置で良いとしても10分以上掛かるのはちょっと…ね。

「からあげ」80点

コイツは付属の金網使用。

今時は「電子レンジでもできます」らしぃんですが、ぶよぶよの仕上がりの衣のアレを唐揚げって言うのか?と。

いちおう衣カリカリになりますが、まんべんなくは難しくて所々軟らかいまま。焼けたところもカリカリというよりパサパサっぽい。あと一度裏返さないと裏側がカリカリにならない。でも味的にはかなり遜色無い…というか揚げるよりも肉汁しっかりで肉が旨い。

衣は小麦粉と片栗粉と試しましたが、片栗粉の方がパサパサ感が強く小麦粉の方がよさげな感じでした。

火を通すのは基本電子レンジなんで、分厚いお肉の調理はかなり得意っぽい。しっかり下味付けると揚げ油が1回でダメになるので、片付けとか2度揚げの手間とか考慮するとZITANGで唐揚げはもありっちゃぁありかな。

「揚げ物のあたため」100点

まさにZITANGはこのために作られたんじゃ無いかと思う使い方。最高の揚げたての状態が帰ってきます。

「グラタン・ドリア」100点

まさにZITANGはこのために…(略)。

「てきとうな焼き物」が得意=酒のアテ製造機

肉厚のある材料の調理が得意。逆にキャベツとかの葉ものはイマイチ。

鶏肉1枚まるまま焼くの好きなんですが、フライパンだと中々芯まで火が通らず大変なのがボタン一つで割りと良い塩梅にこんがり。中はジューシー。

たまねぎ+バター、なんかも電子レンジでも出来ますがこっちの方が焼き目が付いてより良い感じに。ソーセージなんかも良い感じです。

万願寺唐辛子なんかも、フライパンで焼くよりええ感じに焼けます。肉厚の野菜類なんかええ感じに焼けそうです。

「ちょっと焼き目が欲しいけれど、厚みがあって中まで火が通りにくい」みたいな食材の調理が凄く得意でした。

あとオーブンも試してみた

料理本とか見ていて「オーブン xx℃/xx分」って見るたびに、オーブンなんてねぇよ!って悔しい思いしていました(といっても年に1度あるかないか)。やっと、念願のオーブンが手に入りました。

スチームオーブンとか今時の新しい機能は一切無いんですが、庫内が小さいお陰で余熱がめっちゃ早い。

まぁそれ以外はフツーのオーブンですが。

総評

結構なお値段なんで、値段なりの価値があるのか?と言われると意見が分かれるところ。ただ1〜2人くらいの世帯にはぴったりのサイズ感かと。

オーブントースターは処分して台所ちょっとすっきり。パン焼きはポップアップのトースターが有るのでそっちにお任せだし。

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魔法王国

日本人の6人に1人は偏差値40以下、5人に1人は役所の書類を申請できない…“見えない格差”をつくった知識社会のザンコク
https://bunshun.jp/articles/-/58823

これ見て思い出したのが、TRPGのソードワールドの設定にあった「古代魔法王国カストゥール」のこと。

古代王国末期には2%ほどの人間だけが魔法を使える貴族であり、98%は魔法を使う才能を持たない市民もしくは蛮族であった

https://www.weblio.jp/wkpja/content/フォーセリア_古代魔法王国カストゥール

ざっくり要約すると、魔法を使える人達が使えない人達を虐げていたという部分。こう言う相似性を見かけると「おぉ」って思う。

上記のリンク先の記事の論調では「知能の低い人を置き去りにして知能の高い人達だけで高度な社会を作りやがってひどい!」って言うだけでただ共感を誘おうとしてますけど、それはちょっと違うかな…と。

もうここ十数年くらい前からずーっと思ってるんですが、世の中が凄いスピードで変化して行く中で、社会のシステムもそれに合わせてどんどん「改良」が加えられてゆく。すると社会システムや制度はどんどん複雑化・高度化していってしまう。

今まで積み上げてきたものとの整合性と、詐欺師達に如何に悪用されないようにするかという制度設計を考えると必然的に複雑になってしまう。

特にネットの力は驚異で、制度や手続きに少しでも穴があれば、ごく一部の頭の良い詐欺師が考えた手法がネットであっという間に広まり、その本質を理解出来ない人達までその手段を真似れてしまう。

でも人の寿命は決まってるし、そう簡単に進化して知能指数が上がる訳もない。となると、どんどん高度になる社会システムを理解出来ない人が増えていくのは必然かなぁと。いままで自立して社会生活をおくれる「普通の人」だったのが、ある日から社会生活を満足に遂行できない「知能障害者」になってしまう。

それを簡単に解決する方法としては「1回滅びましょう」で歴史の上でもそう言う事が何度もありました。とは言えそう簡単に、じゃぁ滅ぶか、って訳にもいかない。それに世界の余裕(景気)はどんどん少なくなっていて、復興がままならない可能性も高い。

税金使って「なんとかプランナー」とか「なんとか士」みたいな仕業の人に支援させると、生保ビジネスみたいに今度はその仕業の人達が自分たちの顧客を食い物にしたりとか困ったもんで。

直近の解決策としては、まぁ人の方が高度化したAIの奴隷になったほうが良かったするのかなぁ…と。まぁAIの信用はさておいて。ただ、それもどっかのラノベでありそうな展開かな。

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車は消耗品

今更ながらに気付く。

地域的に車が無くても生活は出来る(実際数十年間車なしで生活してきた)んですが、車中心の生活が染みつくと、ちょっともう無しには戻れない。

今まで何台かバイクを買ったり手放したりしてきたけれど、バイクに関してはずーっと嗜好品という認識で「無くてはならないもの」という意識は殆ど無かった。

車を買ったときは最初はその延長で考えていましたが、 今では認識としてはもう別物。

「部品が出る限りはいつまでも直して乗れる」ってバイクだと思うんですが、車だとそんなこと思えない。そんな手を掛けたいと思えないし、そもそも「古くなって故障する可能性が高くなった」という状態で乗り続けたくない。

となると、一定期間で買い換えするのは必須…イコール消耗品なわけで、高ぇ消耗品だなぁ…と今更ながらに気付く。

人によってはバイクが生活の中心にある場合もあって、そう言う人に嗜好品の認識でバイクを勧めるのは悲劇でしか無いわなぁ…なんて事を思い出しつつ。

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