程度

某で「不都合な真実」という映画を知る.予告・紹介しか見てないけれど,まぁ地球温暖化とかを扱った映画っぽい.まぁそういうことに対して意識を向けさせようという意図は悪くないと思う.けれど,物事には程度があるわけで1か0ぢゃぁない.それを程度を無視してセンセーショナルに駆り立てるのは,意識を向かせる手法としては有効なのかも知れないのだけれど,何か釈然としない.まぁ大衆相手に正確に程度を伝えたところで,全く意識を引く事は出来ないんだろうけど.
五十歩百歩で嘘ではない.けれどあまりに物事の程度を大げさにするのは,それは一種の嘘というか,「程度の偽造」ではないかと思う.
ちなみに気になったのは次の二つのシーン.「キリマンジャロの雪が消えている」という.概ね地球温暖化が影響していると言われているが,近隣の森林伐採による雨量の変化も影響しているとも言われているが,そんな事は一切ふれられない.「北極の氷が溶けて海面が上昇すれば多くの都市が水没する」ええっと,南極はともかく,北極の氷が溶けても海面上昇にほとんど影響ないのは常識だと思ってたのですが・・・.
念のため参考リンク
まぁ「しない善よりする偽善」で,これをきっかけ観客に意識を呼びかけられたらそれはそれで良いと思う.ただ「程度の偽造」って使い方次第では,とても恐ろしい事にも使われそうな希ガス.

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