安易に敬うの止めませんか?

ビジネス用語で「了解」が失礼で「承知」が正しいとか言い出す流れで,「了解」が失礼なのは「相手を敬う意味合いが無いから」だそうな。
日本には「敬語」という言葉の使い方があって,言葉使いだけで簡単に相手を敬ったり自分を謙ったりできる。中学校の頃,クラスの連中が同級生相手に敬語を使い始めるのを見てウチ的には凄い違和感があった。明確に立場が異なる大人に対して言うならまだしも,なんで同級生同士で謙るのかがさっぱり理解できなかった。本人達は覚え立ての敬語を軽い気持ちで使っていたのかもしれない。けれどウチにはそれが異様の光景にしか映らず,敬語を使うその相手の何がそんなに偉いのか,なんでそんなに簡単に自分を貶められるのか…と。今では「社会はそう言うもの」と理解はしてますが,それを自覚せずに自然に受け入れてしまうのって結構怖いことだと思う。無自覚のうちに対人関係に上位下位を決めつけて振る舞う癖が付くということになると思う。
下位の者に対し上位の者として責任ある振る舞いと,上位の者に対し礼節ある振る舞いになればいいけれど実際には酷いことになっている。下位の者に対しては傍若無人に振る舞い,上位の者に対しては奴隷のように従順に従う事が習慣としてすり込まれてしまう。その結果が,低賃金やらいじめやらの問題に繋がっている気がしてならない。
上位下位の関係を重視する文化を持つ国は他にももう一つある。上下関係を重視する儒教文化を持つ韓国。そして韓国の場合はさらに日本より酷い労働環境と,ひどいいじめが蔓延しているという。そしてもう一つ気になる共通点が,女性の社会的地位の低さ。日本より若干まし?らしいけれども,先進国の中では女性地位の低さを誇る?ツートップが日本と韓国。すぐ隣の中国や台湾なんて,女性管理職なんてふつーにごろごろしているし,子育てや家事もふつーに分担している。
その他の国では,相手を尊重したり対等に接することはあっても「敬う」「謙る」なんて振る舞うのは神様か,自身から認めた特別な相手ぐらい。「敬う」「謙る」対人関係が当たり前の文化になっている日本と韓国は,ちょっと異常に思える。
時代によってはそれでも良かったのかもしれないけど,今の時代では「敬う」「謙る」を上位側から逆手に取られた悪影響が目立ちすぎる。安易に敬ったり,ましてや安易に謙って自分を貶める事や,それを人に「いいこと」として勧めるようなことは止めませんか?と思う次第。

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